【专辑内容】
节选自作家西沢泰生的日常治愈系小故事,外教由佳老师朗读。每则时长5-7分钟,文章篇幅约为竖版口袋书4页。描写日常生活点滴,真实反映日本人情感细节、生活侧面、文化情怀等,日本高中生可理解的程度,难度约为日语N1级别。
【适合人群】
1. 日语词汇量丰富,语法掌握比较扎实,有相当听解能力。可直接收听,能较好的理解内容,并享受故事氛围。可能会受到理解干扰的部分是,涉及日本社会各层面各领域的人名、习惯性说法、固有常用语,以及可能不太熟悉的一些日本文化背景。请参照音频下提示的重点词句帮助理解。
2. 正在提高听力的道路上努力狂奔,想要寻找有内容的听力素材。可以参照音频下的故事原文,当有声书边看边听。从内容来讲,本身也是值得N次循环收听,和无限次影子跟读的。
3. 想要练习日语发音、语音语调和朗读,正犯愁身边没有适合的外教老师。由佳老师接受过播音方面的专业训练,是HANA日语里最擅长朗读的外教老师。小故事朗读基本接近普通日本人的常态语速,可以作为日语跟读朗读的素材。
【专辑特点】
纯外教原声,每日准点更新,真实常态语速,无混音特效,无音乐背景。希望能对大家的日语听力学习有所帮助。
【雨降らば降れ、風吹かば吹け】
とんち話で知られる「一休さん」こと一休宗純。
懐かしいテレビアニメ番組、「一休さん」を思い出す方も多いと思います(私は大好きでした)。
ところであなたは、このちょっと変わった名前、「一休」という呼び名の由来をご存知でしょうか?。
実はこの名、一休さんがまだ修行僧だった頃に、師匠の前でこんな歌を詠んだことに由来しています。
「有漏路より 無漏路へかえる一休み雨降らば降れ 風吹かば吹け」
「有漏路」とは、迷いと煩悩に満ちた現世のこと。
そして、「無漏路」とは雑念のない悟りの世界、つまり極楽のことです。
歌の意味を解釈すれば、だいたい、次のような意味でしょうか。
「現世で過ごす時間など、あの世からこの世に来て、ふたたびあの世へ帰るまでの、ひと休みの時間でしかない。
そんな短い時間に、雨が降ろうが、風が吹こうが、嫌だと思うほどのことではないではないか」
この歌を聞いて感心した師匠から、彼は「一休」という名をもらったと伝えられているのです。
さて、この一休さん。
悟りを開いたのは28歳のときでした。
それまでは、いくら修行に励んでも、どうしても悟りにたどりつけずにいたのです。
ところが……。
28歳のある晩のこと。
1羽のカラスの鳴き声を聞いた瞬間に、悟りを開くことができたというのです。
一休さんは言っています。
「私は、『悟りなどない』ことを悟った」
これは私の想像ですが、一休さんは、「悟りを開こうとして」必死になり、悶々としていた夜に聞いたカラスの鳴き声が、自分に対して、「アホー」と言ったように感じたのではないでしょうか。
その瞬間に、「ああ、そうか。私はいったい何をジュクジュクと考えていたのか。『悟り」なんて、そもそも存在していなかったんだ!」と「悟った」のだと思うのです。
当時の一休さんの師匠は、大徳寺の華叟宗雲という僧侶でしたが、この方、実に頭の柔らかい人だったのですね。
「『悟りなどない」ことを悟った」という、とんでもない悟りを得た一休さんに対して、悟りを開いたことを証明する書である「印可証」を授けようとしたそうです。
しかし、一休さんは、その受け取りを拒否します。
いや、正確には、受け取ったのですが、あろうことか、師匠からもらった「印可証」を焼き捨ててしまうのです。
とんでもない暴挙。
この一休さんの振る舞いを聞いた師匠。
怒るどころか、ひと言、こうつぶやいたと伝わっています。
「あの馬鹿者が……」
師匠は、そう言って笑ったそうです。
弟子が弟子なら、師匠も師匠。大徳寺の華叟宗雲さん、なかなかの大物だったようです。
「印可証」を焼き捨てた一休さんは、師匠のもとを離れ、庶民のなかに飛び込んで仏の道を説くようになります。
この世で過ごす時間を「たかが、ひと休み」と考え、悩みや煩悩に振り回されることを捨て、僧でありながら、「悟りなどない」と言い切った男……。
それが一休宗純でした。
アニメに出てくる一休さんとはひと味違って、リアルな一休さんは、ちょっとシニカルで変わり者だったのです。
この世での時間を「たかが、ひと休み」だという一休さん。
もし本当に、この世での時間が「たかが、ひと休み」なら、悩みや煩悩に振り回されるより、楽しんだほうがイイですよね。
そうはいかないことも多いでしょうが、そこは、一休さんの歌にあるように、「雨降らば降れ 風吹かば吹け」。
覚悟を決めれば、「なるようになるさ」です。
私の知人のある起業家は、今でこそ事業が軌道に乗っていますが、社員を抱えて会社を興して最初の数年は、赤字続きだったそうです。
私が「最初はさぞや、心身ともに大変な毎日だったのでは?」と聞くと、こんな答えが。
「毎日休みなく働いていたけど、なぜか疲れなかった。たぶん、どうせ「なるようになるさ」って思って、精神的にプレッシャーを感じないようにしていたのが良かったと思う」
これ、「プレッシャーを感じなかった」ではなく、「プレッシャーを感じないようにしていた」というのが、一休さん的!
リアル「雨降らば降れ 風吹かば吹け」ですね。
ちなみに一休さんはその後、「応仁の乱」の最中に、後土御門天皇に命じられて京都の大徳寺の住職になり、戦で壊された町の復興につとめたといわれています。
用户评论