第一話14:44--21:26
(辞書編集部)
西岡:荒木さん、昼飯抜きなんじゃないですか?
荒木:昼飯なんか食ってられるか!まったくお前は…のんきで羨ましいよ。
西岡:ひどいなぁ…俺だって探しましたよ。ねぇ、佐々木さん。
佐々木:うん。
西岡:でもね、辞書作りに向いた人材なんて、そう簡単に見つかりませんって。
荒木:情けない。会社は辞書というものをないがしろにしとる。
西岡:仕方ありませんよ。辞書作りには莫大な金と膨大な時間がかかりますからね。
荒木:莫大…
佐々木:ずっと景気悪いですしね。どこもすぐ売れる物しか作ろうとしませんよ。
荒木:辞書はイメージもいいし、景気に左右されにくい商品だ。こんな時だからこそ志を高く持ち、未来を見据えようって気概はないのか!
西岡:辞書はもう何冊もありますしねぇ。
荒木:お前な!辞書編集部員のくせに、辞書はどれも同じだと思ってるんじゃないだろうな?
西岡:いや…俺だって…
荒木:語釈、収録語の傾向など、辞書にはそれぞれ個性がある。一つとして同じ辞書はないんだ。これからの未来にふさわしい新しい辞書を松本先生と共に我々が作るんだ。
西岡:俺だって分かってますよ。だけど俺みたいに優秀なやつなんて、うちにはなかなかいませんって。昨日だって外で営業部の人間とばったり会いましてね。これが…
荒木:フン…どうせ売り上げばっかり考えてるやつなんだろう!
西岡:いや。それが全然営業に向いてないやつで、俺説教してやったんですけどなぁ。
馬締:空気…読むということは…呼吸するものではなく、場の状況、雰囲気を表す際に使われる空気ですね。
西岡:あと何だったっけなぁ。「居心地が悪い」とか「その場を立ち去りたいと思うこと」とか何とか…
荒木:その場ですぐにそう言ったのか?そいつが…
佐々木:へぇ…そんな営業いるんだ。妙に親近感あるわね。
西岡:え?佐々木さんだって会ったら引きますよ。何しろか、空気読めないやつだったんっすから。
荒木:会おう!
西岡:へぇ?
荒木:営業部の何てやつだ?あー焦れったい!お前もついて来い!
西岡:え?ちょっと待ってくださいよ!荒木さん!
荒木:一つの言葉が持つ多様な意味を瞬時に思い浮かべる。それは辞書を作るために重要な素質だ。
西岡:会ったって無駄ですよ。本当天然で、クソ真面目な…あ、こいつだ。
荒木:うん?うん、第一営業部、馬締。行くぞ!
松本:辞書の編集作業は単行本や雑誌とは違う大変特殊な世界です。気長で細かい作業をいとわず、言葉に耽溺し、しかし溺れきらず広い視野をも併せ持つ。そういう若者が今の時代に果たして…
荒木:辞書編集部の荒木だ。
馬締:あ、第一営業部の馬締です。
荒木:馬締とは珍しい名字だな。どこの出身だ?
馬締:僕は東京ですが、両親の出身は和歌山です。問屋場のことを馬締ともいったそうで…
荒木:旅人に馬の手配をする馬の元締ということか…あぁ、話の途中ですまんな。
馬締:いえ。名字の由来を聞かれたことは何度もありますが、書き留められるのは初めてです。
荒木:君は右を説明しろと言われたらどうする?
馬締:右…方向としての右ですか?それとも思想としての?
荒木:方向の右だ。
馬締:「箸を使う方」と言うと、左利きの人を無視することになりますし、「心臓のない方」と言っても心臓が右にある人もいるそうですから…体を北へ向けたとき東に当たる方角。
荒木:では島はどう表す?
馬締:ストライプ、アイランド、地名の志摩?
荒木:アイランドの島だ。
馬締:周りを水に囲まれた比較的小さな陸地でしょうか?いやそれじゃ足りない。江の島は一部が陸とつながっていながら島だ。となると…
荒木:もういい、十分だ。馬締君、君の力を「大渡海」に…新しい辞書作りに注いでほしい。
西岡:え?冗談でしょう。
馬締:辞書?……言葉の海を前にたたずむ人の心を、思いを運ぶために、僕たちは舟を編む。言葉の海を渡る「大渡海」という舟を…
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