はじめこそ、薬を飲むときのスポイトを隠していたトトだが、一カ月もたつと、全面的に受け入れるようになった。薬を飲むこと自体、最初から受け入れてはいるのだが、スポイトを隠したり容器を流しに落としたり、ということもしなくなった。
食事の時間になると、台所にいる私の足元にトトはちんまりと座っている。薬の準備をして、トトお薬だよと抱き上げると、だらーんと脱力し、されるがままになっている。赤ちゃんのように抱っこして、薬を飲ませるのだが、トトは毎回じーっと動かず、私を見ている。薬を飲ませ終わっても、ぬいぐるみのようにじーっとしている。
いつまでじーっとしているのだろう?
と、あるとき私もそのままじーっとしていたら、一分ほどのちに「はっ、何してたわたし?」と我に返った顔で、床に下りた。
それがあまりにもかわいらしかったので、以後ずっと、薬のあと、じっとしている。トトも毎回じっとしている。
そして毎回「はっ」となる。
考えてみれば、トトはなんでもこのように受け入れるのである。
病院にいくときも、こわくてたまらないのだろうに、キャリーバッグに入れると逃げたりせずに座る。外に出るときちいさな声で鳴くけれど、鳴き続けることなくすぐに静かになる。
病院に着くまで、じーっと伏せの体勢で動かない。まるで存在しないふりをしているか
のよう。病院の診察台にのせられても、じっと香箱座りをしている。ちなみにトトはうまく香箱がくめないので、両手はきちんとしまっていないのだが。微動だにしない。
先生が聴診器をあてても、人のいないところを見て「シャー」とちいさく言うだけで、じーっとしている。
先生が「どうしちゃったのこの子は!」と笑い出してしまうほど、じっとしているのである。
そうして診察台にトトをのせたまま、先生と話していると、トトは人に気づかれないように座ったままそっと移動し、診察台のいちばん端っこ、私のわきに置いたキャリーバッグにもっとも近い位置で香箱座りをしているのである。
診察を終えて、帰る。帰り道には餃子屋や焼き鳥屋があって、異なるにおいが漂っているのだが、このにおいの変化で家が近いことがわかるのか、病院からある程度離れると、うずくまっていたトトは急にキャリーバッグのなかで立ち上がる。いきは存在しないふりをしていかたのに、帰りはすっくと立ち上がり、鼻を動かしてにおいを嗅ぎ、移り変わる景色を眺めている。
家に着く。玄関先でキャリーバッグを開けると、トトはにゅるーっと出てきて、文句を言うことも愚痴ることもなく部屋に上がり、数分後には、病院にいったことなど忘れたかのように体をぱかーっと開いて寝ていたりする。
そんなような猫のありように、私は心から驚き、そして感動するのである。もちろん、トトの個性もあるだろうけれど、猫は基本的にやさしい生きものではないかと思うようになった。
犬も鳥もやさしいが、それぞれ、やさしさの種類が違うように思う。猫のやさしさは奥ゆかしい。遠慮がちですらあるように、思う。
夏の夜はトトはベッドの下で、冬の夜はキャットタワーの上部についたもこもこのハンモックで寝ているが、明け方になると、私の隣にやってくる。そうして必ず左脇に入ってきて、のどをごろごろ鳴らしながらふみふみをし、そのまま眠る。が、完全に眠りに落ちると、はっと目を覚ましてまた、床やハンモックといった所定の位置に戻っていく。この明け方数分の行動が何を意味するのか、私には理解できないのだが、もしかして私に気を遣ってくれているのか、と思ったりもする。トトといっしょに眠りたい眠りたいという私の強い願いを知っていて、ほんの数分、ちょっとつきあってくれているのかもしれない。
こんなにやさしくて怒らないトトであるが、ごくごくまれに、怒ることがある。怒るといっても「シャーッ」はやらない。体当たりしてくるのだ。
トトが怒るのは、ごはんが遅いとか、遊んでくれないとか、そういうことが理由ではない。もっとプライドや名誉にかかわるようなことらしい。
たとえば、トトは家のなかのどこでものっていいのだが、流し台だけはだめである。ところが、だめと言われるとトトはのりたくなる。
とくに、こちらがトトにまったくかまっていないとき、わざとのって、チローンとこちらを見たりする。トト、下りて! と注意してもたた下りないとき、私はトトの目の前でぱちんと手を叩く。いわゆる猫だましである。トトはびっくりして急いで下りて、隣の部屋に駆け去っていく。
そのまま台所で作業をはじめると、数分後、なんとトトが廊下を「うにゃーん」とちいさく鳴きながら走ってきて、そのまま私にドロップキックを食らわせるのである。つまり両後ろ脚で床から三角形を描いて跳び、足裏で私の脚を蹴り、そしてまた、だーっと走り去っていくのである。
目の前でぱちんと手を叩かれたことに、トトはとってもむかついたのである。馬鹿にされたような気がしたのであろう。でもその瞬間は怒らない。別部屋にいき、じっくり考え、ウンやっぱりむかつく、と結論を出し、「何ヨ何ヨ
ッ」とちいさく叫びながら廊下を突進、蹴り、「フンだーっ」とまた逃げていく。すべて想像だが、そのようにしか思えない。
今のところ、トトの怒りの表現はこれひとつしかない。そしてトトは、私と夫には違う態度で接するのだが、この怒りだけは、同様にぶつけてくる。と、いっても、トトがこの怒りドロップキックをするのも三、四カ月に一度ほど。爪もたてない。なまあたたかい足裏をぶつけてくるだけなのだから、やっぱり猫ってやさしいなあと思う。「猫のような女」って、もし近くに存在したら、私、もうメロメロだと思う。
源先森的梦想蓝图
日常沙发,我回来了