たかだか百歩
「百歩譲って……」という言葉がありますが、たかだか百歩なら、いつでも譲ります。地球の果てまで歩くのではあるまいし、百歩はすぐそこまでの距離です。
有一种说法叫“让你一百步”,不过是一百步,随时都可以让。毕竟又不是要退到世界的尽头,百步不过只是短短的距离。
以前、この話をエッセイに書いたら笑われましたが、今も同じ気持ちでいます。
以前,我曾把这件事写成随笔,当时虽然被当成笑话,不过直到现在,我还是抱持同样的想法。
もちろん僕にも、なかなか譲れなかった頃がありました。人は負けん気が強い生き物なので、ちょっとでも違う考えに触れたとたん、否定したり、言い負かそうとしたりします。殴り合いにはならないけれど、言葉の戦いを繰り広げてしまうのです。
当然,我也曾经有过一段怎么都不肯退让的时期。人是讨厌认输的生物,有时候不过只是些微的意见不合,就想要否定、驳倒对方。虽不至于大打出手,但打嘴仗还是避免不了的。
ああ言えばこう言うをえんえんと繰り返し、結論は出ないまま、おたがいがへとへとに疲れておしまい——こんなやりとりは、あまりに馬鹿げています。
话赶话地持续争论下去,结果结论还没出来,双方就已经累得精疲力尽了——像这样争吵,未免太愚蠢了。
そこで僕は心の根底に、戦わないというルールを設けました。その結果、百歩くらい楽に譲れるようになったのですから、あながち悪いことではないでしょう。
于是,我在心底立下一个原则,那就是:不与人争战。结果就是我能够轻松地退让一百步,这也未必是什么坏事吧。
戦わないために大切なのは、人の話をよく聞くこと。相手に先にしゃべらせ、「もうこれ以上、話すことがありません」と言われてもさらにしゃべらせ、その間はずっと真剣に聞くのです。
要做到不与人争战,最重要的是要仔细听对方说话。先请对方发言,让他畅所欲言,就算他表示“全都说完了,已经无话可说了”,还是请他继续说,这期间自己则专心聆听。
そのうち「ふうん、自分の意見とは違うけれど、それもありかなあ…」などと思えてきたりします。たとえそう思えなくても、相手がどういう根拠でその意見を述べているかが、立体的に理解できます。
听着听着,不禁会开始觉得“嗯,虽然跟我意见不同,不过也有道理……”,就算依旧无法认同,也能具体理解对方是依据什么理由来发言的。
戦わないルールをつくって以来、人と意見が対立したときでも、「それは違うでしょう」と否定することはなくなりました。もちろん百歩は即座に譲れます。
自从我立下不与人争战的原则以来,即使是与人意见相左的时候,也不会否定对方“你想错了吧”,我可以当场就退让百步。
だからといって、自分を殺したり、考えを曲げているわけではありません。相手の意見をまず聞き、「お先にどうぞ」と譲ってから、自分に合ったペースで、のんびり自分の道を歩くこともできるのです。
这并非意味着要抺杀自己、改变自己的主张。先倾听对方的想法,说声“你先请”,礼让对方之后,我们还是依然可以按照适合自己的步调,悠哉地去走自己的路。
用户评论