お部屋へ戻って、机のまえに坐って頬杖つきながら、机の上の百合《ゆり》の花を眺める。いいにおいがする。百合のにおいをかいでいると、こうしてひとりで退屈していても、決してきたない気持が起きない。この百合は、きのうの夕方、駅のほうまで散歩していって、そのかえりに花屋さんから一本買って来たのだけれど、それからは、この私の部屋は、まるっきり違った部屋みたいにすがすがしく、襖《ふすま》をするするとあけると、もう百合のにおいが、すっと感じられて、どんなに助かるかわからない。こうして、じっと見ていると、ほんとうにソロモンの栄華以上だと、実感として、肉体感覚として、首肯《しゅこう》される。ふと、去年の夏の山形を思い出す。山に行ったとき、崖の中腹に、あんまりたくさん、百合が咲き乱れていたので驚いて、夢中になってしまった。でも、その急な崖には、とてもよじ登ってゆくことができないのが、わかっていたから、どんなに魅《ひ》かれても、ただ、見ているより仕方がなかった。そのとき、ちょうど近くに居合せた見知らぬ坑夫が、黙ってどんどん崖によじ登っていって、そしてまたたく中《うち》に、いっぱい、両手で抱え切れないほど、百合の花を折って来て呉れた。そうして、少しも笑わずに、それをみんな私に持たせた。それこそ、いっぱい、いっぱいだった。どんな豪勢なステージでも、結婚式場でも、こんなにたくさんの花をもらった人はないだろう。花でめまいがするって、そのとき初めて味わった。その真白い大きい大きい花束を両腕をひろげてやっとこさ抱えると、前が全然見えなかった。親切だった、ほんとうに感心な若いまじめな坑夫は、いまどうしているかしら。花を、危《あぶ》ない所に行って取って来て呉れた、ただ、それだけなのだけれど、百合を見るときには、きっと坑夫を思い出す。
回到屋里,坐在桌前,手托腮盯着桌上的百合花。味道真好。闻着百合花的香味,即便是就这么无所事事地待着,也绝不会产生肮脏的想法来。昨天傍晚散步走到了车站那里,往回走时从花店买来这枝百合,虽然只有一枝,却让我这里像换了个房间似的清爽起来,顺溜儿地拉开纸拉门,一下子就能感觉到百合的香气,实在是太棒了。就这样一动不动地盯着看,真觉得比所罗门的荣华还要好,我用真实的肉体感觉验证了这一点。忽然想起了去年夏天的山形。去山里时,在那悬崖的半山腰上绚烂地盛开着数不清的百合花,一时惊艳,看得入迷。但我知道根本爬不上那陡峭的悬崖,所以不管多么喜欢都只能远远看着,别无他法。那会儿近处刚好有一个不认识的矿工,他默不作声一鼓作气攀上悬崖,眨眼的工夫儿就给我折回来一大捧百合花,多到两只手都要抱不过来了。然后他连笑也没笑一下,把那些花都塞到我的手里。那可真是一大捧呢,太多了。不管是在多么豪奢的舞台或是结婚典礼上,从来都没有人得到过这么多花吧。那时我第一次体会到了“晕花”的滋味。我张开双臂,好容易才把那捧硕大的雪白花束抱住,结果根本看不到前面了。真是个好心人,那个年轻、老实的矿工真心让人感动,现在他怎么样了呢?去危险的地方给我采来了花儿,只是这样一件事,却让我在看到百合的时候就一定会想起矿工。
注:
所罗门(Solomon),古代犹太王国的第三任国王,约公元前961年至公元前922年在位。通过对外通商等发展经济,在首都耶路撒冷广修神殿和宫殿,缔造出人称“所罗门的荣华”的黄金时代。《马太福音》第6章29:“然而我告诉你们:就是所罗门极荣华的时候,他所穿戴的还不如这花一朵呢!”
注:
山形,日本东北地区偏西南部的一个县,临日本海。县厅所在地是山形市。
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