今夜はお母さんに、いろいろの意味でお礼もあって、アンマがすんでから、オマケとして、クオレを少し読んであげる。お母さんは、私がこんな本を読んでいるのを知ると、やっぱり安心なような顔をなさるが、先日私が、ケッセルの昼顔を読んでいたら、そっと私から本を取りあげて、表紙をちらっと見て、とても暗い顔をなさって、けれども何も言わずに黙って、そのまますぐに本をかえして下さったけれど、私もなんだか、いやになって続けて読む気がしなくなった。お母さん、昼顔を読んだことが無いはずなのに、それでも勘で、わかるらしいのだ。夜、静かな中で、ひとりで声たててクオレを読んでいると、自分の声がとても大きく間抜けてひびいて、読みながら、ときどき、くだらなくなって、お母さんに恥ずかしくなってしまう。あたりが、あんまり静かなので、ばかばかしさが目立つ。クオレは、いつ読んでも、小さい時に読んで受けた感激とちっとも変らぬ感激を受けて、自分の心も、素直に、きれいになるような気がして、やっぱりいいなと思うのであるが、どうも、声を出して読むのと、目で読むのとでは、ずいぶん感じがちがうので、驚き、閉口の形である。でも、お母さんは、エンリコのところや、ガロオンのところでは、うつむいて泣いて居られた。うちのお母さんも、エンリコのお母さんのように立派な美しいお母さんである。
今天晚上,我在各种意义上对妈妈表示感谢,按摩结束后又附赠了一项服务——为妈妈读点儿《爱的教育》。知道我在读这样的书,妈妈脸上露出了放心的表情,可前些日子发现我在读凯赛尔的《白日美人》时,妈妈悄没声儿地从我这里把书没收过去,瞥了一眼封皮,脸上表情很是阴暗,到底还是没说什么,立刻又把书还了回来,但我已经不高兴了,再没有心情继续读下去。妈妈应该没有读过《白日美人》,尽管如此好像还是靠直觉洞察到了。安静的夜里,我一个人出声地读《爱的教育》时,自己的声音听起来特别愚蠢,读的过程中偶尔会觉得无聊,真是愧对妈妈。周围实在太过安静,所以这愚蠢就愈加明显。《爱的教育》嘛,无论什么时候读,都一样会感受到小时候阅读时获得的那份感动,一点儿都没变,仿佛自己的心灵也因此变得率真纯净起来,还真是挺不错的。可是,高声朗读和用眼睛默读这两种感觉的确很不一样,让人惊讶,简直让人受不了。但是,妈妈在听到安利柯和卡隆那些地方时,竟低下头哭了起来。我的妈妈也和安利柯的妈妈一样,是一位优秀、美丽的母亲。
注:
《爱的教育》(Cuore),意大利作家埃迪蒙托·德·亚米契斯(Edmondo DeAmicis,1846—1908)创作的长篇日记体小说,首次出版于1886年。以日记的形式,写小学四年级学生安利柯在一个学年里的生活。
注:
约瑟夫·凯赛尔(JosephKessel,1898—1979),法国记者、小说家、法兰西学院院士。《白日美人》(BelleDeJour)是一部描写女性肉体与灵魂之纠葛的小说,发表于1929年。
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